日日是好

〜しあわせな日常茶飯事

祖父母の家の裏庭に数本のチャの低木が植えられていて、GWに遊びに行くと新芽の二葉を摘み取らせてくれました。蒸されて柔らかくなった茶葉を両手に挟んで揉んでいると、少しずつ水分が出て若い黄緑色はどんどん濃くなり、ほわっと青っぽい匂いが立ち上がります。よれた茶葉を大きな竹の平ザルに乗せ天日でしっかり乾かしたら、まず生茶で淹れて、残りの茶葉は祖母が「根気の要るこの作業は年寄りのしごと」と言いながらのんびりと焙じるのです。何とも言えない香ばしいその焙じ香は前庭や門の辺りまで満たしていきました。幼い頃の、お茶と私の原風景です。

私は茶道を嗜む祖母から注意を受けることの多い子どもでした。食後にお皿を重ねて持とうとすると「お茶式よ、お茶式」玄関先で立ったままお客さまを迎えると「膝をついて」…。正直、めんどくさ、と思っていました。

コーヒー党揃いの我が家でひとりだけミルクティーを飲んでいた私の関心は次第にお茶器にも。高校卒業後の春休み、紅茶専門店から頂いた初めてのバイト代で、ある作家さんの個展で目に留まった器を迷いに迷った末ひとつ買いました。すこし大人になったようなちょっと誇らしい気分で。両手に大切に包み込まれている粉引の柔らかな白乳色と、ディンブラ茶の水色の美しさに見惚れ、誰をお茶に招待しようかな、と考えていた時、ふと気付いたことがあります。それは、子供の頃うっとうしくさえ感じていたあの数々の忠告は、何事も大雑把な私に、器を大切に扱う習慣や訪ねてくださった方々への礼節の心を養ってくれていたのだということ。粉引の器はスイスで今も健在です。

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学生時代にかじった茶道を自分の家庭を持つようになってから再開し、お抹茶が特別な意味を持つお茶になりました。インドを旅した時、路上チャイ屋さんに座り込んでつくり方を学び、何度も失敗しながらようやくおいしいチャイができるようになったのは良いけれど、飲み過ぎのあまり動悸がし、深夜に卒論を作成する手が震え出す始末。今思えばあれはきっと軽いカフェイン中毒でした。英国ではホテルや田舎のコテージでアフタヌーンティーを堪能、スペイン留学中はオリーブオイル過剰摂取にハーブティーが功を奏すことを何度も実感しました。思い返せば何とも幸いなお茶の記憶です。

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さて、スイスのカフェで初めて日本茶を飲んだ時のことを書かなくてはなりません。それは、「Thé vert(緑茶)」と、確かに書かれたティーバッグ。大きなマグカップに入った熱湯に浸され、お砂糖とクリームと一緒に出てきました。それから数度様々な場所で「Thé vert」を注文してみましたが、お茶専門店以外のカフェやビストロではどこも同じような扱いです。その光景は徐々に私を日本茶回帰へ導き始めました。スイスの人々にもおいしくて体に良い日本茶を識ってもらいたい、という淡い使命感のようなものだったのかも知れません。それからずいぶん月日が流れてしまいましたが、数年前に本格的に始めた日本茶の学びは、やがてkotonochaワークショップにつながっていきました。

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せっかくぶどう畑の隣に住みながら、ワイン(アルコール分解酵素なし)もコーヒー(苦い!)も飲めない私の暮らしは相変わらず「日日是好茶」。好きなお茶や器に向かう時間は本当に愛しく、自然と感謝の気持ちがわいてきます。

日本茶アドバイザー、日本茶親善大使として認定してくださった日本茶インストラクター協会さん、「茶畑オーナー」に名を連ねさせて頂いている宇治・和束のおぶぶ茶苑さん、季節ごとにお茶やお茶使用商品を送ってくださいます。長く親しませて頂いているお抹茶丸久小山園さん、札幌の大森園さん、裏千家(茶道)、小笠原流(お煎茶道)の先生方、少しも進歩しない生徒でごめんなさい!ワークショップを開く機会を下さったスイスOrbeのお茶屋さんやLausanne初!のステキな和カフェのまる茶さん、おいしくて可愛い和菓子で彩を添えてくれるosioさん。笑い合いながらお茶の時間を一緒に過ごしてくれる友達のみんな、ワークショップに来てくださるみなさん、私のお茶熱に付き合ってくれている家族、そして、春夏秋冬情熱を込め手間をかけておいしいお茶作りに励んでおられる茶農家の方々、心からありがとうございます!!

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一服のお茶が教えてくれるのは、四季折々に日々繰り返される「日常茶飯事」が決して当たり前なことでなく、とてつもなくすごいこと、かけがえのない時間なのだということ。充分重ねたのはトシぐらいで、相変わらず間違えたりしくじったりばかりの人生。でも、この大切なことを忘れず暮らしていけたなら、私もいつかホンモノの大人…らしくなれるのかも知れません。これからもみなさんのしあわせな日常茶飯事が続いていきますように!